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薬莱神社三輪流神楽

2015年02月19日

 薬莱神社三輪流神楽の起源は、遠く推古天皇の御代(五九三~六二八)にさかのぼると言われ、天皇が「四海康楽、安国利民」の祈願を込めて天神地祇を祭られた時、秦川勝に命じて舞を奏させたのが初まりであると伝えられている。また、当地にこの神楽が伝えられたのは、坂上田村麻呂の征東軍に従ってきた川勝の子孫教勝がこの地に永住するようになってからと考えられている。
 法印神楽系といわれている三輪流神楽が隆盛を極めていたのは、室町時代中期より江戸時代前期(一四〇〇~一七〇〇)に至るまでの約三百年間に渡る。その間に大崎家より、「神楽面」が薬莱神社に奉納されたり、また再三仙台藩公へ能面供覧や鹽竈神社社前における神楽奉納など、数多くの来歴が古文書に記されている。

 構成は、舞人、仕手一名、合舞より不同、大胴一名、小胴一名からなっている。

 曲目は、総数は二十六番あったが、現在は約十一番が継承保存されている。代表的なものとして、除魔、獅子愛子、神拝楽、宮鎮祭、岩戸入楽、岩戸開楽、叢雲楽がある。

時期
 五月九日、薬莱神社春祭下山祭行事など

所在地
 加美郡小野田町字上野目大宮

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