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新城の田植踊

2015年07月23日

 天保や天明年間の大凶作は多くの人々の生命を奪った。凶作ともなれば農作物ばかりでなく、野や山の幸までも奪ってしまい、村を全滅にしてしまうことも珍しくなかった。田植踊は、こうした時に神に豊作を祈願したことから始まったと伝えられている。
 新城田植踊の伝承地、立沢、金成沢は気仙沼市の西に位置する手長山嶺に位置している。天保の大凶作により、農民が死を待つばかりとなった時、苦しい時の神頼みの例に漏れず、同士が集まり、地区内にある平八幡神社の社前で踊り、豊作を祈ったのが新城の田植踊の始まりとされている。囃子詞の「ヤンドーハイ」に因んで、別名「ヤンドーハイ」とも呼ばれ、豊作祈願、郷土の繁昌を予祝して、永年の間小正月の行事として部落内を門回りしてきた。
 なお、気仙沼地方には「大石倉の田植踊」や「二十一田植踊」なども伝承されている。

 構成は、早乙女(踊り子)五名前後、弥十郎(男)二名、囃子は唄い上げ、小太鼓、笛から成っている。

 曲目は、新城田植踊歌詞と新城田植踊用端唄とがある。
 新城田植踊歌詞には、お正月、年の始め、朝はか、朝草刈り、十七、鎌倉、朝霧、向山、夕暮れ、君様、どこよりも、おいとま等がある。
 新城田植踊用端唄には、伊勢音頭、伊蔵節(花はいろいろ、平家一門、丸にいの字、奥州仙台)、八本舞、春駒、春雨、夕暮れ、吾が物等がある。

時期
 旧正月、平八幡神社社祭典(旧八月十四・十五日)など

所在地
 気仙沼市新城

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