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小野田の田植踊

2015年08月04日

 田植踊の起源は古く、稲作が盛んになってから導入されたもので、豊作祈願の予祝行事として踊られてきたものである。
 小野田の田植踊は、明治の初期まではこの地方の他の部落でも盛んに踊られたが、明治末期から大正期にかけ衰退し、一時は途絶えるかと思われていたが、月崎・中嶋にのみ昔風の優雅な名残を留め、古老の手によって伝承されてきた。
 月崎部落は、千三百年の歴史を持ち、隣接の隣接の郷社「飯豊神社」も慶雲二年に祀られ、米作り、酒造りの氏神として信仰されており、米作りの労作の踊りが信仰の正月行事として伝承されてきたと考えられている。中嶋の田植踊も、おおよそ九代目の保持者といわれており、三百七十年前頃の起こりと想像される。

 構成は、弥次郎の仕草につれて、笛、太鼓、唄い上げの音頭で踊るのは月崎も中嶋も同じであるが、月崎は早乙女九名、弥次郎一名、笛二名、太鼓一名、鐘一名、唄い上げ二名からなっている。また、中嶋は、弥次郎一名、笛一名、太鼓一名、鐘一名、唄い上げ二名からなっている。

 曲目は、月崎は袖振、一本扇、上がりはかの四番を伝えている。また、中嶋は、袖振、二本扇、上がりはかの三番が伝承されている。

時期
 正月十四日、十五日

所在地
 加美郡小野田町字中嶋南原畑
 加美郡小野田町月崎字宿

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