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愛子の田植踊

2015年08月27日

 愛子の田植踊の起源は、元禄年中に加藤某という人が京都から伝えたといわれており、おそらく同地鎮座の古社諏訪神社の別当が代々修験者であったことから、それとの関係で田植踊も演じられてきたのではないかと伝えられている。
 また、伊達政宗公が黒川の七ツ森に鷹狩に行って変えられた際に、お祝いとして愛子の田植踊を踊り始めたとも言われている。五・六歳から一五・一六歳までの少女たちが踊り、踊り子は早乙女と言われてお揃いの花笠と、宮の紋に竹の裾模様のついた黒地の振袖、手甲、脚胖、草履のいでたちである。

 構成は、早乙女は六人以上の偶数名、弥十郎二名、鈴振り二名、笛吹三名以上、大太鼓一名、小太鼓三名、岡囃子、唄上げ、褒め言葉をする者数名。

 曲目は、いれは、手拍子、鈴拍子、扇拍子、銭太鼓、跳太鼓。


時期
 諏訪神社祭礼の時、お正月の門回り、他町村から招かれた時

所在地
 宮城郡宮城町下愛子字町

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