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芋沢の田植踊

2015年09月10日

 芋沢の田植踊の源流は、昔、京都御所において催され、永正年中、伊達家十三世尚宗公(香山)が後柏原天皇の御許可を仰ぎ、毎年金子壱両、白米壱石を下賜し居館において踊らせていたもので、のちに政宗公に至って仙台に築城されると、城内でこれを踊らせたといわれている。これが仙台田植踊の始まりだとも言われている。
 のちに吉村公(獅山)のお許しを得て、寛延二年の正月に、国分芋沢、要害でも踊り始めたと伝えられている。この田植踊は芋沢、要害の百姓喜太郎と弟の平吉が仙台の行商の際に、熱心に見聞きして覚えたものであるといわれている。それから百七十余年後の大正七年には、仙台青葉神社の祭典に当って、懇請があって奉納した。その折に、記念として同社務所から三つ組の竹に雀の御紋付木杯と金一封、御酒五升を頂いてきたが、頂いた背門の宮は初め伊達家において天皇から許可があった時、ともに使用したものであるという。踊り手は昔から若者男子が女装した早乙女数十名、弥十郎二・三名が出て、笛、太鼓の囃子で踊り、代々長男か家督だけに限られてきたが、昭和五十年代からは部落男子青少年たちに伝承されるようになった。

 構成は、踊手(早乙女)十名、(弥十郎)三名、大太鼓一名、笛二名、唄二名、着付三名の二十二名で構成されている。

 曲目は、種子まき、鈴きり、手拍子、扇舞、銭太鼓、獅子舞、上りはか、狂言。

時期
 正月二日、旧三月十九日及び同九月十九日、宇那繭神社祭典。

所在地
 宮城郡宮城町芋沢字明神

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